【札幌市IT経営戦略セミナー講演録(未定稿)】

地方の時代における情報化推進の課題

総務省の牧でございます。本日はこのような場にお招きいただき,ありがとうございます。経歴のところにもありますが,私はこの3月まで一札幌市民でございまして,道庁に勤めておりました。今日は久々に市役所の本庁舎に顔を出しましたが,考えてみれば市役所との付き合いはむしろ区役所のほうが多かったかなと思っておりまして,そういう意味では,最前線で市民の方と対応する区役所における住民との付き合いの仕方というのは,ITともいわれる電子化・情報化以上に大切なのではないかと感じたところでございます。
 今日は1時間ちょっとの時間ですが,「地方の時代における情報化推進の課題」ということで,内容的には3つのことをお話したいと思います。
 1番目が「地方の時代は実現しているか」ということで,「地方の時代」という言葉が言われてから20年余りが経ちましたが,果たして,地方の時代は実現しているのか。これをいくつかの観点からお話したいと思います。
 その上で2番目に「情報革命がもたらすもの」ということで,「情報革命」というと,ある歴史学者に言わせると第3の波といえるくらい大きな変革の時代でもあると思います。第1の波が農業革命。人類が狩猟採取の生活をしていたのが農耕へと移行し,それによって食糧生産が増大した。それから産業革命があった。それに匹敵する大きな改革の時期とういことで,全世界のパーソナルコンピュータがネットワークでつながっていく。インターネットがどういう形でわれわれの生活,そして行政の組織自体にもどんな影響がこれから出てくるかという話。
 3番目が「地方自治体におけるIT戦略の方向性」ということで,これだけ大きな変革の時代です。われわれとしてどう対応していくべきかということを3点目としてお話したいと思います。

1.地方の時代は実現しているか
 「地方の時代」という言葉を最初に唱えたというか,世の中に注目され始めたのは1979年の4月です。ちょうど全国で統一地方選挙があったときに,その直前に当時の神奈川県長洲知事が提唱されたのがこの「地方の時代」という言葉でございます。それまでの中央集権的な行政システムを根本的に転換していく必要があるという発想で,これからはいろんな問題を解決するにあたり,国主導ではなかなか解決できない問題が多いのではないか,これからは地方が主体的に行政に関わっていくことで,行政課題解決に向けて,地方抜きでは物事は進まないということが当時の長洲知事の提唱だったと思います。それから20年余り経ちまして,法律上で言うと「地方分権一括法」が2000年4月に制定され,仕事の面でも対等協力の関係ということで,機関委任事務が廃止されました。機関委任事務というのは,地方公共団体が国の一機関,下部組織として行政を行うという,国の手足となって自治体が仕事をするというものです。この事務が自治体の事務の中で非常に大きな部分を占めていたのですが,それを根っこからとりやめましょう,ということで廃止となりました。基本的に国なら国の事務,地方なら地方の事務と明確に区分したということで,法律の仕組み上はこの制度改正をもって一歩進んだ,ということがいえると思うのですが,では行政の実態としてどうでしょうか。行政だけでなく,東京を中心とした中央と比べて地方は実際活性化されているか,元気になっているかどうか,という意味での,地方の時代は実現しているかということで,3点のポイントからお話したいと思います。
 1点目は産業構造です。20年前,「地方の時代」といわれてから現在に至るまで,産業構造が中央と地方でどのようになってきたか。
 2点目は人口構造です。端的にその地域地域の元気度をあらわすのが人口構造だと思うのですが,それがこの20年間でどういう動きをしているのか。
 3点目が財政問題です。権限については国から委譲されています。しかし実際に仕事をするときは予算が必要なわけです。補助金や交付税いろいろございますが,地方財政が大変厳しい状態にあるなかで,権限は委譲されたけれども,実際に地方が仕事をするさいの財源問題,これが今どうなっているか。
 この3つの点について,まずお話をしたいと思います。
 
?産業構造について
 まず,産業構造の話です。1979年に神奈川県知事が「地方の時代」を提唱しましたが,このときの時代背景を振り返ってみますと,ちょうど昭和30年代後半から,日本は高度成長期に入りました。このとき日本の高度成長期を引っ張っていったのがまさに製造業なのですけれども,当時の4大工業地帯といわれた東京・大阪周辺・北九州・名古屋ですね,4箇所にほとんどの工場が立地して集中的に振興していったわけです。それがオイルショックという波を越えて,地方に製造業がどんどん展開するという流れとなり,それがまさに現在進行形だったのが「地方の時代」という言葉が提唱された時期になります。
 製造業というのは,土地,人件費などのコストが安ければ,大都市周辺で立地する必要はないわけです。ただしインフラ整備が必要です。ですから,昔,田中角栄さんが提唱した「日本列島改造論」にもありましたが,そうした計画がまさに進んで全国に高速道路が伸びていく,全国に港湾が整備されるということで,基本的に道路,港湾,この二つのインフラが整備されれば,地方に立地したほうが,工場サイドとしてもコストが安くて良いということになります。まさに日本の高度成長を引っ張ってきた製造業,これがインフラ整備によって地方展開をはじめた時期,地方の産業が振興してきた時期に,「地方の時代」という神奈川県知事が掲げた理念が進んでいたというふうに考えております。
 では,この20年間はどうだ,となりますと,実は製造業に関して言えば,人件費が安くて土地が安ければどこでも立地できるということですから,端的に言うと日本国内でなくても良いというのが今の流れです。
 転換期が訪れた要因としては2つあると思います。ひとつは円高です。円高が急激に進む前,昭和60年頃まではまだ1ドル250円くらいだったのですが,為替レートがまだ円安だった時期というのは,海外に比べても,日本の製造業は土地代にしても人件費にしても十分競争力を持っていた。ところが,当時竹下さんが蔵相だった頃「プラザ合意」がなされ,アメリカの貿易赤字が多大に膨らんだということもあって,円高で貿易収支を是正していこうという流れの中で,250円くらいだった円が一気に100円になり,一番進んだときは79円まで円高が進んだ。これで国内の製造業が悲鳴をあげたわけです。一挙にアジアのほうに流出したというか,国内で言うと空洞化が進んだ。したがって地方の製造業からすると,新しい工場立地については,人件費・土地が安いアジアに流れ出していく,しかもそこから今度は製品が入ってきて,国内の製品との競争ということになると,とてもこの円高の中で人件費というものを考えても競争にならない。地方の製造業は非常に苦戦をしていた,というのが現状でございます。「地方の時代」,これからは自治体が住民ニーズに応えてやっていかなければ,なかなか問題が解決しない時代だ,ということで,そのときまさに地方が産業という面で力をつけた時代だったのですが,地方に産業展開した製造業に関して言うと,円高とアジア諸国の台頭で地方の製造業は非常に苦戦しているという状況でございます。
 日本国内の産業を見たときに,自動車だとか携帯電話だとか一部の製造業は別にしてかなり苦戦している。家電製品ですとか,あまり付加価値が高くない,技術レベルが高くないものはどんどん中国などで作るようになったときに,日本国内の雇用構造はどうなのか,みんなどこで働くようになったかといいますと,大きな流れとしては,ひとつはサービス業に携わる人,もうひとつは同じ第2次産業の中でも,建設業に携わる人がこの時期増えています。
 第2次産業というのは大きく分けると2本柱,製造業と建設業です。それから第3次産業のサービス業になるのですが,製造業が地方で苦戦する中,日本全体の産業構造がサービス産業にシフトする。サービス産業については,どこで雇用が生まれるかというと,サービスですから需要があるところ,人が住んで需要があるところにしかサービス業は成り立たない,というのがサービス業の特徴でございます。そういう意味では,製造業というのは安く作れればどこに立地してもいいわけですが,サービス業となってくると大都市で雇用が生み出される。
 日本全体でみたときに,地方展開していった製造業は苦しい。地方で人口密度も少ないようなところで,どこを製造業で抱えきれなくなった雇用の受け皿としてやっていくかということで,このときに伸びたのが製造業に代わる2次産業,公共事業でございます。建設業の中でも,北海道は端的なのですけれども,東京周辺と北海道を比べると,同じ建設業でも公共事業,役所が発注する仕事と,民間がビルなどを建てる仕事,この割合がぜんぜん違う。東京のほうに行くと3分の2以上が民需なのです。ところが北海道にくると半分以上が役所の発注する仕事,もっと端的に言うと札幌道央圏を除くと,かなりの地域が建設業を支えるのは公共事業という構図になっている。
 実は先ほどの円高と貿易黒字,これとセットで日本の地方の雇用問題を片付けようと考えたのが,当時の日本政府が作った施策「公共投資10ヵ年計画」です。もう10年ちょっと前になりますか,この計画のことを覚えておられる方もあるかと思いますが,当時日本政府が何を考えていたかというと,アメリカが大変な貿易赤字であり,日本は黒字だった。どうして黒字だったかというと,製造業はガンガン輸出するのに,輸入するものがなかったということです。これを一挙に解決する手段,しかも円高で日本の製造業が非常に困っている,どんどんリストラが進んで人が余っている。これを一挙に解決し,しかもあとで人口問題のところで述べますけれども,日本の人口構造が,団塊の世代といわれる,昭和20年代,戦後すぐベビーブームのときに生まれた方々,この方々が現役のうちは納税者に比べて年金をもらう人が少ない。この40代の方々が,年金をもらう側になったときには,新しい公共投資をやる余力は日本の財政にはなくなるわけです。まだ,税金を納める人たち,現役の人たちが多いうちに公共投資をやりましょう,内需を拡大すれば貿易黒字が減るのではないか,しかも公共事業を増すことによって円高で苦しむ地方の製造業で抱えきれなくなった雇用を抱えられるのではないか,ある意味で三位一体で施策が進められたわけです。ところが,「公共投資10カ年計画」を進めてまいりましたけれども,結果的になかなか公共事業によって内需を拡大するというふうにはいかない,どんどん注ぎ込んでもなかなか景気が回復しないという状態が生じた。
 かつて高度成長期,オイルショックの時代は政府が景気対策を打てば,乗数効果といって,何倍もの経済効果があって,景気が回復する。景気が回復すれば税収が回復すると,回復した税収で,公共事業は地方債,つまり借金でやりますから,税収が上がったところで借金を返しましょうという構図でやってきた。だから「公共投資10カ年計画」でどんどんやった。しかしだんだん,景気が悪いから公共事業をやるということでは,景気が回復しなくなってきた。
 今,地方自治体が財政難に陥っている端的な原因は,景気対策ということで,平成7年や10年にものすごく公共事業をやりました。そして減税もやりました。公共事業をやりますと,だいたい地方債の償還ルールとして3年据え置き,4年目から元金返済に入ります。ですから景気対策を打ってから3年後に景気が回復して税収が上がれば,それで借金を返せばいいのですが,ところが今回,バブル崩壊後に不況に陥ってからは,4年経っても5年経っても景気が回復しない。もう一回カンフル剤を打とうと思って平成7年にやって,一回8年あたりにちょっと景気が回復しかけて税収が伸びたんですが,そのあと消費税が上がったり,あるいはいろいろな制度改革がございました。そういった影響があったのかどうか,もう一度平成10年に,大規模な景気対策を打ちました。当時自治省の税務局にいたのですけれども,かなりの減税をやった覚えがあります。しかし,平成10年の巨額の公共投資でかなりの借金を抱えた,北海道でいうとまさに拓銀が破綻したときなのです。このとき,北海道庁の予算規模は,補正予算後で3兆8千億を超えていました。私は実は北海道の財政課長をやっておりまして,とても道財政が持たないということで,今年度の当初予算額は2兆9千億を切るところまで抑え込んだのですが,そこから比べると9千億くらい道庁の予算規模は膨らんでいたのです。それくらい,北海道庁は借金を抱えてでも北海道経済を支えようと,エイッと景気対策を打ったわけです。ところがその元金返済が始まる4年後になって,税収が上がると思ったらぜんぜん反応しない。北海道庁の財政が苦しくなったのは,この一点に尽きると思います。
 これだけの景気対策を打っても税収が上がってこない。これは今までの景気循環と流れが違うのだというのが,今,皆が気が付いて議論している話でございまして,世の中構造的に変わっているのではないか。私はそのひとつの大きな要因が情報革命という流れだと思っておりまして,ここに着目して適切な手だてを打っていかないと,自治体によってはかなり悲惨な状態になるのではないかと思っておりまして,その辺の話をまた後ほど申し上げたいと思います。

 ?人口構造について
 そこで次に2番目の「地方の時代は実現しているか」ということで,人口構造の話を申し上げます。
 1979年の「地方の時代」という言葉が一世を風靡した時代というのは,3大都市圏,特に東京・大阪に集中していた人口が少し地方に移行する,東京周辺ではドーナツ化現象でとても人口が増えた時期があったのですが,東京・大阪に人口が集中するという流れが緩和した時代でもある,それだけ地方に製造業が展開して雇用が創出されたということです。
 私は昔,通産省におりまして,そのあと島根県庁で企業誘致の仕事をしたのですが,かつて日本の高度成長期に工場を建てる,人を集めるという動きと,当時平成7年,島根で私が誘致をやっていた頃の感触で申し上げますと大きな変化がありました。それまではトヨタなら地元である愛知県に工場を作って,人ならいくらでも他の地方から集めてくるということでやってきた。けれどもこれは子沢山の時代だからできたことです。農家の次男坊三男坊がいたときというのは,田畑を分割していったら食えなくなるのは目に見えていますから,大都市の工場に働きに行く,これが当たり前だった。ところがだんだん少子化が進んで,長男長女時代になってくると,どこでもいいから働きたいという人間だけを集めていたのでは良い人材が集まらない。むしろこの長男長女時代だから,人材がいる地方に行って工場を展開するのだいうことになってきました。私が通産省の前にいた北九州で申し上げますと,トヨタと日産の工場が当時九州に立地したのですが,当時トヨタが社内募集をしたのです。九州工場に行きたい人,と。九州くんだりなんか行く人は少ないだろうな,と募集をかけたら,実は希望者がたくさんいた。愛知の工場で働いている人に,もう九州に帰りたいという人が非常に多かった。長男長女時代になってくると,昔ほど人口が流動化しない,企業が,製造業が地方に立地するようになった。
 ところが,円高に加えてアジアが伸びてきたので,地方の製造業に限界が来て,雇用を抱えられない。じゃ,公共事業をやるかとなると,公共事業で生まれる雇用というのは,端的に申し上げると,かなり単純労務に近いということです。これからITを駆使するような人材,こういう人材がおそらくこれからの地域の活性化を支えていく人材になると思うのですが,その人たちが能力を本当に活かして働ける職場かどうか,ということになると,いくら道路やトンネルを作っても,設計図を書いたり,あるいは技術的に最先端のことをやる人たちは東京から行くわけです。地元の雇用というのは基本的に単純労務というのが多くなってしまう,そういう構造ではなかなか厳しいというのが現状でございます。
 そういう意味で言うと,ひとつはこの少子化という流れが,人口が大都市に集中するということ以上に各地域の構造に影響を与えるのではないか。もっと申しますと,税金を納める人がだんだん少なくなってくるわけですから,年金だとか札幌市の財政にも影響を及ぼしてくる。ということで,実はこの少子化の問題というのは特に北海道において深刻なのではないかというのが私の印象です。
 北海道というのは,皆さんご案内のとおり,合計特殊出生率という数字があるのですが,これが非常に低い。合計特殊出生率というのは,一人の女性が一生のうちに何人子供を産むか,という数字なのですが,北海道はだいたい全国の下から2番目です。低い。数字で言うと1.2くらいです。最近だいたい1.2ちょっとくらいを推移していますが,夫婦二人で1.2人しか子供が生まれないとどうなるか。5世代後にどうなるかを単純計算いたしますと,2分の1.2を5乗しますと0.1を切るのです。今の北海道の状況で少子化が進んだら,5世代後,一世代30年とすると,150年後には北海道の人口が10分の1になってしまう。これだけ子供が生まれない,しかもその最大の貢献都市は札幌市なのです。北海道でも札幌以外のところはそれなりに子供が生まれている。北海道の3分の1の人口を抱える札幌市が圧倒的に少子化が進んでいるという状況です。ここは少し考えていかねばならない問題だと思っております。
ではなぜ少子化が進むのか。世界的に見て,いろいろ研究されており,いくつかの学説が共通して2つ要因をあげています。 ひとつは,国民所得が上がれば確実に少子化が進みます。先進国でも所得が上がってくるとだいたい子供が生まれなくなる。なぜかというと,もともと所得が低いような状況,例えば自営業など,自分で個人事業をやっているという場合には,子供は,経済学用語で言うと「投資財」です。子供が多ければ多いほど,将来の自分たちの生活が豊かになる。子供が多ければ働き手が多いわけですから,農業などは典型ですけれども,しかも所得が低い状況というのは乳児の死亡率も高いとうことで,確実に育つかわからないということもあって,たくさん子供を産む。
 だいたいサラリーマンが圧倒的に増えた時期というのは所得が上昇した時期と重なっているのですが,サラリーマンにとって子供は何か。これは経済学用語で言うと「消費財」なのです。子供ができたらかわいい。将来の楽しみだ。農業の場合は自分が年老いて働けなくなったときに何人もの子供が労働力となって働いてくれる。投資財だったものが所得が上がってくると消費財になってくる。そうすると数をたくさんつくるよりは,絞り込んで育てる。また,子供もなかなか亡くなることはない。所得が上がってくると子供が減る。これがひとつ。
 もうひとつは社会規範の問題,というのがあります。所得が同じように高い諸外国を見たときに,どの国が子供が少ないかというと,おもしろい傾向がありまして,第2次世界対戦で枢軸国と言われた国が低いですね。イタリア,ドイツ,非常に低いです。一方でアメリカは高いですね。先進国である程度国民一人あたりの国民所得が高い国の中で唯一2を超えています。2.3です。端的にいうと,社会規範,社会的しばりといいますか,倫理観がかちっとしている国は少子化が進みやすい。もっと言えば,未婚の母が多い国はあまり少子化は進みません。結婚して子供を産むのが道徳だ,男女の役割というのはこういうものだと,社会通念が強いといわれている国はどうしても少子化が進む傾向にあります。
 これらは学説で言っている話ですが,もうひとつ,札幌に来て私が感じたところは,語弊がありましたら申し訳ありませんが,札幌は女性が独身で暮らしていてもなんら痛痒を感じない,そういうすばらしい街だということが,少子化に拍車をかけているのではないかなと思います。データ的に比較してみますと,かつて勤務していた島根県,ここは人口は減っているが,合計特殊出生率は高かった。沖縄に次いで高かった。ところが人口は自然減なのです。これは社会減でなく減っている。どういうことかというと,島根は議員立法で「過疎法」というのができたときに最初に声をあげた全国一の過疎地なのですが,過疎が30年続くと子供を産む階層がいなくなってしまうのです。過疎というのはだいたい高校を卒業した時点でどんどん都会の方に子供たちが流れ出ていくことです。島根県で言いますと,高校出た時点で,就職,あるいは大学進学で3分の1は県外に流れ出すという状況です。しばらく流出が続いても,子供を産む階層がいれば子供は減らない。しかし三十年間根こそぎ若者の流出が続くと,子供を産む層が少なくなってしまう。だから残った女性,Uターンで戻ってきた女性の一人当たりで子供を産む数が多くても,結局産む人の数が少ないから自然減になる。これは完全に危機的状況に陥っているかと思います。逆に札幌はどうかというと,女性の数は多いわけです。ではなぜ子供を産まないかというと,おそらく女性にとっての機会費用,要するに結婚して得られるメリットと,結婚することによって失われるもの,これを比べたときに,もう少し独身でいたほうがいい,こういうことになってしまうとなかなか結婚しない。結婚しないと子供を産まないという社会規範がまだしっかりしているので,そういう意味でいうと,札幌で少子化対策をするとしたら,おそらく女性が生きがいをもってきちっと仕事をしながら子育てができるような社会を創らなければ,なかなか少子化問題というのは片付かない。
 なぜこのような話をするかといいますと,情報革命というのが解決手段になるのではないかということで申し上げました。先ほどコールセンターの話にもありましたが,テレワーカーといいまして,インターネット技術でどこにいてもどんどん仕事ができるという環境が生まれてきつつある。テレワーカー,要するにこれは在宅だとか会社以外のところでネットワークを使って仕事をする方のことをいうのですが,このテレワーカーが情報革命,いわゆるインターネットが普及するにしたがって,あるいは電話回線でなくブロードバンドの時代になって急速に普及してきたのですが,満員電車に揺られて会社に行って,気苦労しながら仕事をするよりも,自宅で仕事をしましょうという人たちが増えている。ここ2年間でも16%ほど増えておりまして,各企業にアンケートをとりまして,総務省でまとめた数字があるのですが,2002年時点でだいたい全国で286万人がテレワーカーとして働いております。これは5年後には倍になるという予測もございます。ただ,このテレワークを導入している企業の数は,アンケートを取りますとだいたい10社に1社程度しかまだテレワークに取り組んでいない。テレワークを実際にされている方がどういう形態かといいますと,8割が自宅で仕事をしている。
 テレワークをしていることでどういうことがよかったですか,というアンケートを取って,2年前の数字と比べてみたのですが,特徴的に伸びた数字が2つございまして,ひとつは通勤の負担がなくなったということ。2年前は33%だったのが57%に伸びている。もうひとつは育児・家事の時間が増えた。これが2年前は1割だったのが26%になっている。男女別の数字がなかったのですが,情報革命が進み,インターネットでつながってどこでも仕事ができる状態になって,女性の方が,能力を活かしてテレワーカーとして働いている方は非常に増えているのではないでしょうか。特に翻訳業みたいな業務であれば自宅でできる話ですし,情報革命というのは働き方を変えるのではないでしょうか。
 もうひとつ申し上げますと,製造業は安いところに立地する,サービス業は大都市という需要のあるところしか仕事がない,という話をいたしましたが,情報革命によってひとつ可能性がでてくるのが,ネットワークで結ばれることにより,本来であれば需要があるところでしか仕事が生まれないサービス業でも,エリアが離れていても仕事ができるようになる,それがブロードバンド時代ではないかと考えています。札幌の有名なところで,“アマゾンドットコム”という会社をご存知かと思います。インターネットの本屋さんです。あれは大変便利で,HPを開いてクリックしたら自動的に本が手に入る,これが全国でできるわけですが,アメリカにおけるインターネット関係の本屋さんでは最大級です。これが日本に立地するときにどこに立地しようかといろいろ検討した結果,札幌が一番いいということで札幌に出てきた。これは,それだけ働く人がいるという,ある程度都市的環境が整いつつ,コストが安いところ,ネットワーク関係も整ったところ,ということを客観的に海外の人が見たときに,札幌というのは非常に可能性の高いところだった,ということをまさにあらわしているのではないかと思っております。そういう意味では,先ほど市役所のITに関するパンフレットを見せていただいたら,ひとつの柱に産業の活性化という言葉がありましたが,札幌というのはIT産業の振興について,ものすごくポテンシャルの高い都市ではないか,というふうに思います。

 ?財政問題について
 話が脱線しましたが,次に3点目。財政問題を申し上げます。財政問題といいますと,今「道州制」ということを少し議論するようになってまいりました。今,国がひとつの施策として市町村合併を進めているのですけれども,市町村合併が一段落した次の段階ではおそらく道州制,都道府県が今までのままでいいのか,ということが議論になってくると思います。このとき北海道の場合は幸か不幸か,北海道というひとつの地区を構成している。そういう意味では,他の都道府県に比べれば道州制への移行は非常にスムーズに進むのではないかということがひとつ言えるのではないかと思われるのですが,実は財政問題というものがひっかかってくる。
 国全体の税金というのは,予算の流れを見ますと,国民が納める税金というのが全体でだいたい80兆から90兆くらいあるのですが,それを国と地方で,国税と地方税でどう分けているかといいますと,だいたい国が6割,地方が4割,徴税しています。ところが実際にどちらが仕事をしているかというと,地方公共団体の方がたくさん予算を使って仕事をしている。3対2が逆転して2対3,地方がだいたい6割強,北海道に私がいた頃は国の倍仕事をしているとよく言っていたのですが,税収は国よりも少ないのにたくさん予算を使って仕事をする。そのためには何が必要かというと,結局国税でとったお金を地方に財源移転する。
 財源移転を大きなところで言うと補助金と交付税になりますが,交付税は一般財源ですから使い道は地方で決める。ところが補助金に関していうと,どこでどういう事業するかという細かなことまで国が口出しをするきっかけになってしまう。ということで,補助金という形で中央集権的なコントロールが及ぶような財源移転の方式は望ましくないのではないか,これはいったん国が国税として国民からいただいたお金を補助金として地方に配って,地方にあれこれ指示をしながら仕事をさせるということではなく,できるだけ,地方税の割合を高めて,地方が自ら住民からいただいたお金で自ら行政を行う,このほうが良いのではないか,というのが税源移譲の考え方です。
 例えば公共事業ひとつとっても,島根県にいたとき,中海干拓というのが非常に大きな課題になっていたのですが,大きな湖がありまして,これを干拓して農地を作る。この事業を考えた時代というのが米不足だった。広大な水田を作るという計画だったのですが,もう米余りの時代で,農地を作ってどうするということになった。実は長野のダム問題と同じで,ものすごくネックになったのが財政負担だった。干拓事業の仕組みというのは,国の負担と地方の負担と,それに併せて干拓してできた土地を売り払って,その収入によって事業費をまかなうという仕組みだった。干拓事業を続ければ水田にならなくても土地ができてそれが売れる,それで財投資金を借りて農地を作っていた。事業を途中で止めてしまうと,土地は海の中のままなのです。では土地を売って返すはずの借金は誰が払うのか。当時私は島根県の財政課長をしておりまして,国と折衝するときに,島根県が止めたいのなら土地ができなかった分のお金は県でもってくださいと言われることを懸念していました。それを考えれば,財政力が弱く国の負担が高率だったこともあって,このまま事業を続けたときの県の負担と,途中で事業を止めてしまって,土地ができる予定のものが海のままで終わったということで,その代金を全部払うことを比べて考えたら,事業を進めたほうが財政的には得だということになる。ですから,地元の意向で止めたいからといってその損失分は全部地元で持ってくださいといわれたのでは,公共事業は止められない,という話になりかねません。「地方分権一括法」の前に策定された地方分権推進計画の中で,長期にわたる公共事業でその後の情勢変化でやむを得ず止めるような場合は補助金の返還は求めないという取り扱いがなされまして,その後いろいろな政治的な動きもあり,中海干拓事業については,結果的に土地ができたときにあてにした売却収入分は地方と国で折半という決着で落ち着いたのですが,これまでの補助金も含めて全部持てと言われたら,おそらく国がやむを得ないというまでは地元としてはやり続けざるを得ない,そうでなければ財政破綻する。
 そういう意味で言うと,北海道でも一つ考えなければいけないのが,地方で得た税収で物事を進めていく,というのは流れとしていいのですが,そこでひとつ,国庫補助金をもらうということをどう考えるかということです。ひとつ数字を申し上げますと,北海道でどれくらい国税を納めているかを調べてみました。1兆5千億円です。国全体で見ると,国税で収めた分の約6割は交付税や補助金という形で地方に財源移転しています。本来ですと,国の防衛や外交や国の直轄事業だとか,国自身でも使いますので,6割を国の補助金や交付税で渡すとしたら,北海道を独立して考えれば,そのうち9千億円くらいが国からくるという計算になる。実は北海道に来ている国庫補助金と地方交付税,これを足すとだいたい2兆9千億円でございまして,そういう意味で言うと,実は道州制を議論するときに財政的な独立というのを求められるのですが,北海道はだいたい1兆5千億円しか国税を納めてないのに2兆9千億円も国からお金がきているとなると,国税を納めるのをやめてまったく自分で使うようにしても,北海道全体の財政は支えきれないという構図が見えてまいります。そのなかでも割と大きい公共事業関係の補助金を切れるかどうか。
 これからいずれ北海道が,地方分権時代,財政的にも自立していくということになりますと,北海道の場合はあまり製造業が育たなかった面もあるのですが,やはり景気対策,公共投資10ヵ年計画ということで公共事業をやってきたわけです。公共事業を今までやってきたこと自体はたいへん意味のあることだと思っています。下水道普及率にしても,道路整備率にしても,北海道は全国でも指折りです。北海道は社会資本整備が遅れていると国に陳情しているのですが,これは本当かなと思います。高速道路についてはものすごく遅れていますが,これは採算がとれる大都市から順番に造っているので,遅れても仕方のない面がありした。高速道路以外で見ると,かなり社会資本整備は進んでいる。この公共事業に依存してきた北海道の産業構造をどう展開していくかというときに,これから製造業といってもなかなか伸ばしていくのが難しいという中で,やはり情報通信関係の産業を考える必要があるのではないかと思います。

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