「野外文化」第178号 寄稿

 山 に 登 ろ う

私の趣味は山登りである。ロッククライミングや厳冬期の雪山はやらないので、登山というより山歩きというほうがふさわしいかもしれないが、単純に登山道を歩くばかりでもない。私が前任地の北海道で始めたのが、残雪期の春山と夏の沢登りである。そこには、登山道を辿るのとはひと味違った魅力がある。地形図を見ながら自分達でルートを選択し、未知の山に挑んでゆくわけだが、それだけに山頂に至るまでの充実感も格別だ。
 3月後半からゴールデンウィークにかけての春山。暖かくなって雨で積雪が締まり、固雪の季節になると山はどこでも歩けるようになる。カンジキやアイゼンも持参するが、たいがいはツボ足でもOK。この時期は、登山道のない山にも登れる。決められた道はないので、地形図を見ながら適切なルートを選択して登ってゆく。平らな地形でホワイトアウトになると道が分からなくなってしまうので、天候には十分注意する必要はあるが、最近はGPSという便利なツールもあり、目標地点と自分の位置関係も確認できる。
 そして、夏の沢登り。これは最も原始的な山登りの形態だろう。もちろん登山道はないので、沢づたいに徒渉を繰り返しながら登ってゆく。手足を使い、石を飛び、水流を進み、木の枝を掻き分ける、まさに平衡感覚が要求される全身運動である。滝があれば高巻きしながら沢を詰め、稜線付近から最後に藪こぎをして山頂に達する。
 私にとって一番思い出深い山、それは群別岳である。日本海から切り立った増毛山塊の奥深く、マッターホルンのように鋭峻な山容は登山意欲をかき立てるが、残念ながら登山道がない。この秘境の山にも、5月に残雪を踏んで、8月には沢を詰めて山頂に立つことが出来た。日高山脈にも残雪期や夏の沢登りで到達できる素晴らしい山々がある。
 さて、最近は小中学校の遠足でもあまり山に登っていないような気がする。私が子供の頃は、遠足と言えば山登りが多かったのだが、雨天中止となるのが煩わしいからか 事故を避けるためか 遠足もテーマパークのような所が増えているようだ。実際、山に登っても中高年の女性は数多く見かけるが、若者や子供連れの姿がめっきり少なくなった感じがする。
 テーマパークのアトラクションのような擬似的冒険はあっても、本来の意味での冒険が身近な世界から失われつつある。もちろん進んで危険を冒すことはないが、ある程度リスクがあっても、挑戦の気持ちをもって自らの創意工夫で危険を避けて目的地に到達することで得られる感動は大きい。そもそも最近は、全身を使って五感を働かせる機会が減っているのではないか。新緑の森で深呼吸、清流に足を浸し、可憐な花を愛で、野鳥の鳴き声に耳を澄ますなど、山に登れば自然が五感に多彩な刺激を与えてくれる。
 何でもボタン操作一つで済んでしまう時代だからこそ、たまには山に登って人間本来の姿を取り戻したいものである。