日本三百名山の折返し点に立って


 「日本百名山」といえば 深田久弥氏による名著だが、深田氏自ら後記に「北海道では九座挙げたが、そのほかに、ウペペサンケ、ニペソツ、石狩岳、ペテガリ、芦別岳、駒ヶ岳、樽前山などは有力な候補であった。ただ、私はそれらの山を眺めただけで、実際には登っていないという不公平な理由で除外したことは、それらの山に対して甚だ申し訳ない。」と書き記している。

 私も北海道の山々に魅了され、20世紀最後の会員として日本山岳会に加えていただいたが、平成14年4月に東京へ転勤してから目標としたのが深田百名山の踏破であった。あまり意識することはなかったが、それまで43座に登っていたので、それから2年半後、昨年9月に南アルプス光岳にて残り57座を完登することができた。そして、深田百名山にとらわれず、もっと幅広く魅力に溢れた山々に登りたいと思って注目したのが「日本三百名山」である。わが日本山岳会の編纂による「山日記」の昭和52年版に「日本三百名山(案)」として発表され、会員による検討を経て、昭和53年版にて三百座を確定している。ちなみに、「日本200名山」は、同好の士により設立された深田クラブによって昭和59年に刊行されたもので、「日本三百名山」の後になって選定されたものである。
 そして、私も不惑にして日本三百名山のうち半分を超える山々に登ることができたが、ここで改めて強調しておきたいことがある。それは、北海道の山々の全国に卓越した素晴らしさである。北の大地では森林限界が低く、千メートルを超えれば高山の趣があり、豊かな積雪は美しいお花畑を形づくる。私が本州で一番好きな山は黒部五郎岳であるが、その雄大なカールとお花畑の魅力が、北海道の山々を彷彿とさせるからである。

 日本三百名山のうち北海道からは26座が選定されているが、日本国土の2割を超える面積を占め、豊かな大自然に恵まれた北海道には少なすぎる感じもする。日本三百名山の選定にあたっては、深田久弥氏の挙げた山の「品格」「歴史」「個性」が基準とされており、おそらく山の歴史が尊重されているからであろう。
 しかし、高度情報化社会を迎え、大都市への人口集中が一層進むこの時代、人々の心を癒す自然の豊かさを抜きに山の魅力を語ることはできないのではなかろうか。深田久弥氏が日本百名山を選定した昭和39年、それは私が生まれた年でもある。それから40年、日本は高度経済成長やバブル崩壊などを経て大きく様変わりした。アクセス道路や山小屋も整備され、大衆観光化が進む中で、山に豊かな自然が存在するのは必ずしも当たり前のことではなくなってしまった。日本百名山についても、大勢の登山者がそのピークを目指すため、オーバーユースの問題にさらされている。こうして考えてみると、人々が押し寄せかねない名山の選定基準に「自然の豊かさ」を加えること自体、むしろ野暮なことかもしれない。北海道の山々が、その素晴らしさをいつまでも保ってほしいと願っている。

 日本山岳会 ヌプリ35号寄稿 No.13378 牧 慎太郎